丹波義隆のプロフィール

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1955年、東京都杉並区に生まれる 。 母はLinkIcon義隆が3歳の時 、小児麻痺の病で倒れて以来 、車椅子の生活を送る 。 
母が歩いてる姿は、義隆の記憶にはない 。 しかし、何不自由のない幼少時代を送る 。 " 芸能人の子供は私立 " という時代に
" これからは逞しさが必要 " と母の希望で区立都立と公立に進学する 。 
小・LinkIcon中学校時代は悪戯好きのガキ大将で 、あの父 ( 哲郎 )も学校に顔を出すのをためらうくらいだった 。
また当時から色々なものに興味を持ち 、野球・水泳・スキーなどのスポーツに加え 、写真・絵・フルート・アルトサックス
に手を出す。現在でも多趣味は有名で 、LinkIconラジコン LinkIcon鉄道模型・パソコン、 そしてLinkIconソシアルダンスまで広めている。
高校時代の将来の夢は、" パイロット ! " しかし勉強のやり過ぎか 、テレビの見過ぎかで近眼になり 、早くも挫折!
そのあと慶応大学を受験するが失敗!LinkIcon浪人生活が始る・・・ その時に"運命の電話"が鳴る! 
東宝映画 " 青葉繁れる "のオーディションの話が舞い込んだ 。 
今では考えられないだろうが 、当時は人前で喋るのが苦手だったので直ぐに断るつもりだった。 
ところが 、" 親の顔もあるから直ぐに断るのは失礼 。 親孝行のつもりで受けなさい ! どうせ落ちるから・・・ " と
父のマネージャーに言われ 、嫌々受けることになってしまった 。
無欲というものは強く 、2次 、3次と進み 、なんと主役に! マネージャーにブツブツ文句を言いながら撮影所に
通う日々が続き 、なんとか無事クランクアップ 。 
そして映画が封切り 、一般のお客さんの中でこっそり一緒になって観ていると 、そのお客さんたちが自分の演技で笑ったり泣いたりしている ・・・
これは面白い! 人に感動を与えることが出来る素晴らしい仕事 。それに夢だったパイロット役も来るかも知れない ・・・
この作品で演じる楽しさを知り 、そのまま俳優の世界へ! 
( 実は高校時代に 、宝塚歌劇で上演されていた回転木馬を観て俳優の世界も悪くないと思っていた )
ちなみにまだパイロット役は来ない 。
今ではドラマをはじめ 、旅やバラエティー番組にも活動範囲を広げている 。 
またハンディキャップを持っていた母との生活をテーマにLinkIcon講演活動も行っている 。
2009年からホリプロ・ブッキング・エージェンシーの力を借り、「Smile」「Challenge」「Never give up」をモットーに「人生の第二章」の幕を開けました。今後とも宜しくお願い致します。

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